
三重県の歴史の中で、三重県の古代史に触れていきます。
現在、四日市市に采女(うねめ)町という地名があります。ここは古くから「采女郷」という名で知られていますが、「采女」とは、古代、朝廷に仕え主に天皇の食膳の奉仕をした下級の女官のことです。その多くは地方豪族の娘たちでした。地方豪族は、朝廷への服従の証拠として自分の娘を采女として、差し出したのです。
采女となるには、『日本書紀』や『養老律令』によりますと、「郡の少領以上の姉妹及び子女の形容端正(かほきらきら)しき者を貢(たてまつ)れ」とあり、『古事記』や『日本書紀』に伊勢の国の采女の話がしばしば出てくるところを見ますと、古代の三重県は美女の多い土地柄であったと言えるかもしれません